世界が模範とする、ベネズエラの音楽教育プログラム「エル・システマ」
エル・システマは、ベネズエラで始まり、今や 37万人が通う無料のオーケストラ教室です。楽器を無料で貸与し、レッスン料は無料なので、貧困な家庭の子どもでも通えるシステムとなっています。
ベネズエラの貧困率は50%、世界平和度指数は128位で、殺人事件は日本の40倍以上、誘拐事件も日常的に起こる環境下では子どもたちは事件に巻き込まれたり、非行に走ってしまうリスクが高まります。そこで親たちは、エル・システマのオーケストラ教室に通わせるようになります。オーケストラへの参加経験は、単なる音楽教育でなく、人としての成長をも促します。実際に、エル・システマの生徒たちは、学校の成績が良く、問題行動が少ないことがわかっています。
ベネズエラでは、中高生の退学率は26%を超えますが、エル・システマ参加者に限ると6.9%まで下がります。エル・システマは単なるオーケストラ活動を超えて、社会が抱える問題の解決に貢献するために展開されている社会運動として、世界中から注目されています。
ベルリン・フィルの音楽監督、サイモン・ラトルは、「クラシック音楽の将来にとって、最も重要なことが起きているのはどこかと聞かれたら、私の答えは 決まっている。ベネズエラだ。」とまで述べています。実際にエル・システマの卒表生としては、楽団史上最年少の17歳にしてベルリン・フィルに入団したエディクソン・ルイスや、今や世界最高の指揮者の一人 として君臨しているグスターボ・ドュダメルらがおり、音楽教育の成果としても世界最高水準と言えます。
幼少期のオーケストラ経験の意義
オーケストラの中で演奏をして自分を表現し、仲間の演奏を聴き、議論をすることで、仲間との信頼、連帯、美的・感性的コミュニケーションが生まれます。 また、仲間との比較により、自分の良さを認識し、個性を見出すことで自分を表現する力を高めることができます。
エル・システマの創始者であるアントニオ・アブレウ博士は、「オーケストラが子どもたちに与える意義は、喜びであり、モチベーションであり、チームワークであり、成功である。」と述べています。また、指揮者ドゥダメルは、「合奏には他者への思いやりと恊働という概念が必要なので、人として成長することに つながる。」と言っています。オーケストラは子どもたちに、規律と忍耐を覚えさせて生きるチカラを身につけさせ、未来への希望を与える場なのです。
国籍を超えたオーケストラ共演がもたらすインパクト
音楽に国境はありません。本当に素晴らしい演奏は、世界中の人の胸を揺さぶります。オーケストラは、音楽で人をつなげる力を持ちます。一つの音楽を作るための練習や議論、音を通したコミュニケーションは、奏者同士の文化を知る以上に、強く深いつながりを生みます。
ドラッカーの言葉を借りると、オーケストラの目的は、人と社会を変革することにあります。奏者同士がつながり、コミュニケーションを促進することで社会 の創造性を高め、より良い社会を生み出すことにもつながります。
エル・システマの掲げる「音楽立国」を超えた、「音楽立世界」の実現も、不可能ではないのかもしれません。音楽家という限られた人が文化的であるのではなく、市民一人一人が文化的存在として、人としての尊厳を保たれ、芸術を享受し、また創造していく社会を作るため、私たちは活動して行きます。
【参考文献】
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