世界音楽人 file2. 農澤明大(ワールドシップオーケストラ・コンサートマスター)


Q. 音楽と世界というキーワードで、記憶に残っているエピソードはありますか?

10647611_10203074468371643_307063111_nイタリアのひろばで口笛を吹いたらパンをもらったこと、フランスの電車の中でアコーディオンおじさんと即興でハンガリー舞曲のコラボをしたこと、ドイツの駅で津軽海峡を弾いてたら駅員さんに止められたこと(笑)、色々ありますが。

ローム主宰の企画で、色んな国からの奏者が集まって演奏を創り上げるコンサートに参加したことがあるんですが、このときは音楽との向き合い方は文化によって違うのだと実感しました。例えばハンガリー人は、合奏の休憩明け、たばこを吸いに行くと時間通りに帰ってくることは絶対なくて、必ず10分遅刻してきます(笑)。これはちょっとおいおい、困っちゃうなと思うわけですね。反面、日本人は真面目で、休憩中もずっとさらってるでしょ。そうすると、今度はドイツ人にめっちゃ睨まれて。何でだろうと思うと、「休憩は休憩や!休め!」と(笑)。そんなメンツでなんだかんだ一つのコンサートを創り上げるっていうのはとても面白い経験でしたね。

イタリアや中国にオケの演奏旅行に行った時には、聴衆からの反応が日本とは違って、とても正直でした。あのウィーン楽友協会ホールでは、もちろん超高額の席もあるんですが、一方で実は500円の立ち見席もあります。ステータスに関係なく、その人の距離感で本物の音楽を楽しめる。

広島の人が地元球団の広島カープを応援するように、ヨーロッパでは地域のオーケストラを応援するのが当たり前。だからこそ、オーケストラも市民に還元しようという意識が強いし、市民もオーケストラを支えたいと思っている。日本の聴衆で、それぞれオーケストラの演奏や指揮者の細かな差異まで聴き取れる人がどれだけいるかっていうと、現状殆どいませんが、耳の肥えているヨーロッパの聴衆はとても反応が正直で、批判をされることも当たり前のようにあります。

ドイツでホームステイしていた時のホストファミリーはクラシックが大好きでした。週末には友だちと一緒に室内楽を楽しむ。人生の楽しみとして室内楽が空気のようにあって、僕なんて音大出てるのに、仕事以外の感覚で音楽と付き合うことがないなぁと。その時ハッとしました。

そんな体験を経て、「日本の中での音楽」への印象は?

特に日本の音大にいると、「超一流の演奏家になることを諦めるのはすなわち負け」的な考えというか風潮があって、それが日本での音楽の楽しみを狭めているように思えます。
僕は一応教員免許も持っているんですが、教員採用試験を受けると周りからは「農澤さん教師になんの?!」的な。教師はプロの音楽家を諦めたやつがなるもの、的発想です。

しかし、演奏家が教育者よりも優れていると一概に決めつけるのは違うと僕は思います。むしろ、一人でも多くの人が音楽を聴く環境を作ることには、自己満足で完結してしまう演奏よりもよほど価値があると思います。

とにかく、音楽との向き合い方は人それぞれですし、優劣はありません。
「ソリストを目指すこと=正義」な専門的な音楽教育は、昔と構造が全然変わりません。コンクール至上主義ってやつです。その結果、音大にいるのに心のなかでは音楽が嫌いな学生もいっぱいいるわけです。この負の連鎖を断ちたいなと。音大生が自分で「何のために音楽を学んでるのか」を考える文化を作らないと、危険だと思います。