世界音楽人 file1. 野口彰英(ワールドシップ代表)中篇〜世界で求められる音楽〜


世界を舞台に音楽する“ワールドシップな人たち”の生き方を紹介するシリーズ「世界音楽人」
ワールドシップオーケストラのキャプテン野口彰英、前篇からの続きとなります。

ーエルシステマについて、これまでのご自身の活動を経て改めてどう評価しますか?

“それぞれのコミュニティの課題を解決するポテンシャルがオーケストラにはある”

僕のここまでの活動の原点であるエルシステマはベネズエラで始まった活動ですが、今では世界中にモデルが広がっていています。海外に行く機会があれば、出来る限りエルシステマモデルの音楽教育団体の見学もしてきました。

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インドの音楽教育団体にて

そこで感じるのは、その土地土地の抱える社会のニーズに音楽がうまく応えているな、ということです。オーケストラっていうのは、それぞれの土地が持つ社会問題を解決できる可能性を持った教育プログラムなんだなと感じます。

本家のベネズエラだと犯罪から子どもたちを守っていることが広く知られてますが、例えば僕が見てきた団体で言うと、インドだと幼少期に辛い体験をして自尊心を忘れている子どもに自信を取り戻させたり、アメリカだと個人主義の社会の中で、チームの中で役割を担う意味を教えたり。トルコはそれらの要素をうまくミックスさせています。

アンサンブル音楽の経験の中で、その土地土地の持つ問題を解決できるというか、解決できる人を育てているんですよね。日本には多分、日本なりの音楽の使い方があるし、音楽が音楽だから担える治療的役割があるのではないかと考えています。

 

ー日本での使い方について、具体的には?

“第三の場での音楽”

日本の話をすると、人とは少し違った10代を送った人間として、やっぱり日本の若い子たちを取り巻く環境について思うトコロもあります。

いざ社会に出れば同僚の輪、大学時代の友人の輪、趣味の仲間の輪、取引先との輪…、と幾つものコミュニティに常に属することになるわけですが、日本では多感な10代に、ほとんどの場合、家庭と学校、その2つだけが、自分が属する、人間関係を作るコミュニティになります。

それぞれのコミュニティで、自分の立場や立ち居振る舞い方って違って当然だし、居心地の良い場、悪い場があるので、付き合い方を選んでいくことが出来るわけですが、10代の頃は家庭と学校という限られたコミュニティでの立ち位置が、そのまま自分の個性を定義してくると思います。そこで窮屈な思いをした子は、社会全体と自分の相性が悪いように思うしかないですよね。

だからこそ僕は、子ども達はできるだけ多くのコミュニティに属している方が良いと考えています。

そういう場を社会学では「第三の場」と呼ぶそうなんですが、地域の習い事なんかは、三つ目以降の逃げ場になります。個人レッスンではなくて、人の集まるオーケストラ。学校とは違う顔ぶれで気軽に集まれる仲間の輪があると、そこで自分の役割を見出し果たせる。そうすることで自分の居場所を確保し、自分の存在意義を実感できます。

日本では、学校教育に附属の部活が一般に浸透しています。下級生が上級生に上がるとまた下級生に教えるというシステムが断続的にできています。ですから、括弧付きの「エルシステマ」が必ずしも必要かと言うと、そうではないのかもしれません。ただ、学校の外の場に、第3の場として属せるオーケストラがあれば、子ども達にとっての救いになる可能性は大きいのかな、とも思いますね。

後篇〜音楽で世界と繋がる〜に続く